編集者の大切な仕事のひとつに「取材」があります。字義どおり「材(材料)を取る」という意味で、太古の中国では「木材を切り出すこと」や「人材を選ぶこと」を指していたようです。「ちょっと取材してくる」と斧をかつぎながら玄関を出る樵(きこり)を想像すると、なんかほっこりしますね。現在のような「報道における取材」として意味が定着したのは明治時代になってからだそうです。ただ僕の実感としては、「材料を取る」という表現がどうもしっくりきません(同じ理由から「取れ高」という言葉も好きではありません)。その側面もあるのは否定できないけど、本質は別のところにあるのではないか。ということで今回は、僕にとって編集業務の中でもっとも説明がむずかしい「取材」について話したいと思います。まず最初に告白しますと、嫌味みたいな言い方になって申し訳ないのですが、僕は取材がキャリアの当初から割とできるタイプでした。だれに教わることもなく、大きなミスを出すこともなく、たいていの相手と自発的な対話を重ねることができました。準備の時間がないときでも、取材相手がだれなのか直前まで知らされていないときでも、前任の担当者がトラブったあとのフォローでも、いわゆる超大御所が相手でも、一定の成果は出すことができたように思います。もちろんこれは僕の主観ですので、「あいつの取材はひどかった」と感じている方もいらっしゃるかもしれません。そうだとしたらお詫び申し上げます。ただ個人の実感としては、他の編集業務と違って悩んだり苦手意識をもったりした記憶がないし、やや誇張するなら「呼吸するのと同じくらい」ナチュラルな状態で変わらず臨むことができているのです。唯一うまくいかなかった経験といえば、雑誌の取材で某俳優さんがどうしても口を開いてくれず、持ち時間30分のところを10分で切り上げてしまったことくらいでしょうか。だから、と言いたいわけではないのですが、取材のコツみたいなものを聞かれても答えがぱっと浮かびません。「最初に目的をしっかり共有しましょう」とか「あいづちのバリエーションを増やしましょう」とか「取材中に最低一回は笑顔を引き出せるといいですね」みたいな当たり障りのないアドバイスはいくつもあって、それはそれで大事だとは思うのですが、なんせ生身の人間同士のコミュニケーションですので、いつどこでだれに取材するのかによって話は変わりますし、こちら側の状況(性別、年齢、容姿など)によっても切るべきカードは異なります。「まったく異なる」と言った方が正確かもしれない。つまり僕が取材ノウハウを語ったとしても、それは極めて属人的かつ再現性が低いものではないかと思ってしまうのです。ただそうはいっても「ボールが来たらバットを振ればいい」みたいな回答をするわけにもいきませんよね。うーん、どうしよう。そうですね。まず、取材は「準備」と「現場」という二つのフェーズに大きく分かれるわけですが、よく「準備が8割」みたいなことを言われるので、そこから考えてみましょうか。取材において準備は大切です。これは異論の余地がありませんね。パスタを茹でるお湯に塩を入れるのと同じくらい自明です。準備が不十分だと、掘り下げるポイントを探るまでに遠回りしてしまう可能性があるし、何より相手に失礼になりかねません。ただ現場目線で考えると、むしろ悩みどころなのは、「取材相手の情報がありすぎる場合」と、逆に「情報がまったくない場合」ではないでしょうか。どちらも珍しくないシチュエーションですが、ここで人によって対応が大きく変わる気がします。まず前者の場合、今ならAIを使って要約を出すこともできるわけですが、僕は一貫して二つの方向性で準備をしています。ひとつは「全体像を把握する」こと。その人の人生において、いつどんなトピックが起きたのか、転換点と呼べるものはあったのか、現在は何をしているのか。どういった主張をする人なのか、どういった社会的評価を受けているのか。そうした【傾向の過去と現在】を「線」で把握しておきます。本なのか記事なのか動画なのかアウトプットにもよりますが、「時間がない中での最低限」という意味では、これを押さえておくだけでも、致命的に外れた質問をして場に緊張感を走らせるリスクはだいぶ回避できます。二つ目は「相手の業界内の最新ニュースやトレンドを手札に加えておくこと」です。僕は20代半ばから経営者の本をつくるようになったのですが、当初は「いかに舐められないか」を考えながら色々と試していて、そこで一番効果があったと思うのがこの方法です。たとえば人事コンサルタントが取材相手なら、「人的資本経営」とか「◯◯社が新卒の給料をアップ」みたいなトレンドやニュースをいくつか頭に入れておく。そして初回のときに「そういえば最近、こんなニュースを見たのですが、どうなんですかね……?」とさりげなく聞いてみる。たとえ取材全体がベーシックな質疑応答に終始していたとしても、こうした問いをひとつでも投げかけられるだけで空気がぐっと引き締まります。「おっ、こいつなかなかやるな?」と思わせることができるはずです。本当に「なかなかやる人間」なのかどうかは別として、「手持ちに強いカードがあるのでは」という錯覚を少しは抱かせることができる。この方法は、とくに一線で活躍する経営者や、高度な専門性を武器にするプロフェッショナルが相手のときによく意識していました。では、「情報がまったくない場合」はどうでしょうか。事前の共有はないし、ネット検索しても名前すら出てこない。SNSもやっておらず、簡易的なホームページくらいしか見つからない。僕の場合、こういった状況は顧客事例や社員インタビューのときによく起こります。著者から「お客さん(顧客)の話も入れてほしい」と言われ、日程調整まではしてもらったものの、取材相手の情報をもらえないまま当日を迎える。あとは、当日になって「社員を呼んだから彼に詳しく聞いてみてくれる? 僕は30分くらい席外すんで」と突発的にお願いされるケースもあります。こういった場合は対応に困るかもしれませんが、状況も状況なので共有と確認をしながら進めるしかないですよね。多少うまく進行できなくても仕方ない気はします。ただし、あからさまに混乱している雰囲気を出してしまうのは問題だと思います。どんなシチュエーションであれ、頭はクールに、表情はどっしりと構え、粛々と進める。無茶振りをされたとしても、事前に協議していたかのように対応する。それがプロフェッショナルではないでしょうか。さて、こうやって話をしていくなかで整理できてきた気がするのですが、どうやら取材において大切なのは「調律(チューニング)と転調(アレンジ)のバランス」と言えそうです。「同化と異化の繰り返し」とも言えるかもしれません。「調律」とは、つまり「相手や状況に合わせる」ということです。空気を読むと言ってもいい。たとえば、事前情報ゼロの相手に15分しか取材ができないのであれば、話すピッチやトーンを上げて「これだけは聞いておきたい」という質問を優先付けして聞いていく。緊張して口数が少ない相手であれば、じっくり腰を据えて少しずつ掘り下げていく。時にはエンターテイナーとして「演じる」ことも求められるでしょう。ピーター・ドラッカーは「コンサルタントとしての私の最大の強みは、無知になり、いくつかの質問をする能力だ」と語っていますが、これも「調律」のひとつだと思います。いったん自分をニュートラルな状態にしてから耳を傾けていく。相手や業界について予習はしていくけれど、現場では「知らないふり」をして「なぜですか?」「それってどういう意味ですか?」とど真ん中の問いを投げかける。もちろん思考停止で「知らないふり」を演じてしまうと、相手を不安にさせてしまいかねません。そういう意味では、「知らないふり」をするときの温度感についても「調律」が必要だと言えるでしょう。いずれにせよ、ど真ん中に投げかけた問いがうまく機能してくれれば、相手は専門用語やクリシェ(言い慣れた表現)を使わずに、自らの内部に潜って言葉を探してくれます。意識は現場を離れて、目の光が奥に沈み込む。それが見ていてわかります。そこから短ければ数秒、場合によっては数十秒の沈黙が訪れます。深く暗い色合いだけれど、透明感のある沈黙です。そのフェーズを経て、ある人は振り絞るかのように静かに、ある人は何かから解放された表情で堰を切ったように言葉を発します。この瞬間はインタビュアーにとって非常に興味深いものです。深層部から発せられた言葉は往々にして「本人にとっても初めて出会うもの」だからです。言った本人がいちばん驚いている。自分の口から発せられた瞬間、「音」と「理解」との間にわずかな時差が生じます。このとき「なんで自分はこんなことを言っているだろう?」という焦りや懐疑と同時に、新たに生まれた言葉に対する期待と興奮を感じ取ることができるのです。たとえばそうですね、「リーダーシップ」は教科書的な意味では「先頭に立ってチームを引っ張ること」ですが、取材の過程でその人から出てきた言葉は「臆病であり続けること」や「誰よりも先に頭を下げること」だったりするわけです。インタビュアーからすると、こうした一般常識や業界特有の考え方との「ズレ(溝)」には熟した蜜がぎゅっと詰まっているように映ります。これは比喩ではなく、そういうときの口内ではまるで酸味の強い梅干しを口に入れたときのように、ほんとうに唾液が出るのです。『魔人探偵脳噛ネウロ』のネウロは犯人が作り出した「謎」を好物にしていましたが、僕たちインタビュアーにとっては取材を通して語られた「ズレ」がごちそうと言えるかもしれません。ただし、取材中にあまりに「調律」を強く意識しすぎると――つまり「相手や状況に合わせる」ことだけに注力しすぎると――そのインタビューは形式的で予定調和的なものになってしまいます。それでは対話を重ねている当の本人たちだってつまらないし、何より読者にとっても深みのないコンテンツになってしまう。ですからインタビュアーは「調律」するのと同時に、しかるべきタイミングで「転調」してスパイスを投入しなければなりません。では、しかるべきタイミングはどうやって見つければいいのか? これは身も蓋もない話ですが、身体で覚えるしかないのではないでしょうか。相手が退屈そうな空気を出したとき、一般論という安全地帯から出てくれないとき、話の着地点が明らかなとき……そんな淀(よどみ)を瞬間的に見抜くことができるか。「ズレ」の兆しを即座に見つけて的確に掘り下げられるか。そこでは「空気を変える勇気」も求められるでしょう。ただ残念ながら、これができるかどうかは人によってずいぶん差があるようです。できる人はすぐにできるし、できない人はなかなか上達しない。経験で補える部分も大きいのですが、苦手な人は時間がかかるものだと思った方がいいかもしれません。でも「転調」のタイミングについて学べる場所は、取材現場に限ったわけではありません。たとえば僕の場合、かなりの部分を音楽、とくにブルーズやジャズといった即興(インプロビゼーション)を通して体得してきた気がします。一流のミュージシャンは――いま僕はデレク・トラックスとジュリアン・ラージという大好きな二人のギタリストを想像しながら話していますが――自身のソロの中で巧みに転調を織り交ぜるだけでなく、バッキング(伴奏)でメンバーの感情を揺さぶるのがとても上手です。何十歳も離れているエリック・クラプトンやゲイリー・バートンといった大御所に対してでも、嫌味なく(時には愛嬌たっぷりに)焚きつけます。僕は初めて彼らの演奏を見たとき、心から感心しました。「なるほど。相手が偉大な人であったとき、こうやって(良い意味で)煽ればいいのか」と。つまり彼らのパフォーマンスを通じて「目上の人への煽りの仕方と許容ライン」を学んだわけです。もちろんその煽りがポジティブに機能するためには、ソロでしっかり結果を出して、相手からのリスペクトを得ておくことが前提です。むしろ順番から言えば、先にこちらが結果を示すことのほうが(相手はいくらでも選べる立場にあるわけですから)圧倒的に大事でしょう。だからつまるところ、「自分の個性や技術を磨き上げるしかない」という結論に行き着きます。またもや身も蓋もない話になってしまいましたが、でも仕方ないですよね。僕たちは人間というきわめて複雑な生き物の、複雑な領域まで足を踏み入れるプロフェッショナルなわけですから。僕は思うのですが、即興性、泥臭さ、不条理みたいなものを享受でき、かつそこから楽しみを見いだせる人でないと、インタビュアーとして継続的に活動していくのはむずかしいのではないでしょうか。何事も合理的、効率的にしたい人には向いていない仕事ではないかと。逆に、忍耐強く耳を傾けたり、寄り道を厭わなかったり、脱構築的なプロセスが好きだったりする人は、たとえ話下手だったとしても、良いインタビュアーになれると思います。そしてもうひとつインタビュアーにとって欠かせないのは、相手の深部から出てきた毒素を浄化するだけの「濾過(ろか)装置」を持つことでしょう。取材はカウンセングのような側面も持ち合わせているので、深みに入りすぎると精神的に参ってしまいます。場合によってはあちらの世界から戻ってこれなくなってしまうかもしれない。僕の場合、自動的に記憶から消すことができるのと(大事なこともよく忘れます)、少量の毒を毎日浴びて抵抗があるので、身体もメンタルも壊さずに続けられているのだと思います。そういう意味では、ずぼらな面というか、雑でいい加減な側面を同時に持ち合わせておくことも、インタビュアーにとって非常に大切です。というより、ないとやってけいけません。これだけは断言できます。だから奥さんの話を右から左へ聞き流し続けて「聞き手として30流だよね」と愛想を尽かされたとしても、めげちゃいけません。何事もメリハリが大事ですからね。聞くときには聞き、聞き流すときは聞き流す。それがプロのインタビュアーというもの……ですよね?