書籍編集について話します。といっても書籍のジャンルはさまざまあるので、ここでは僕が主に手がけているビジネス書を前提に話をしたいと思います。編集とはどんな仕事なのか? この問いに一言で答えるのはむずかしいものです。「集めて編む」のように抽象化するのではなく、実務面での役割について伝えようとすると、どうしても説明的になってしまいます。何度も受けたことがある質問なのですが、なかなか納得いく回答を出せていません。どこをどう拾い上げたらこの仕事の本質を捉えられるか。「うーん、実はいろいろあってですね」というエクスキューズ以降の言葉選びに今も苦心しています。書籍編集者がやることは、だいたいこんな感じです。企画や構成を考える著者を口説いて伴走する(時に衝突する)取材する原稿を編集・校正する、修正指示を出す書く(程度の差は大きいけれど)進行管理をする外注先をディレクションするタイトルや帯案、販促用のキャッチコピーを考えるデザイン案を考えるコスト計算をする社内調整、プレゼンをする販促戦略を考えて実行するけっこう盛りだくさんです。ただ重要度としてはどれも遜色なく高いので、「苦手ですから」と言って断ることはできません。ひとつでも不十分なことがあるとクレームが飛んできたり、「あの人はここがイマイチだよね」と社内外で噂をされたりします。僕もキャリアが浅い時代には社内調整やコスト計算が面倒で、適当にやって怒られたことが何度もあります。じゃあ今は人並み以上にできているのか? わかりません。できるようになったと思いたいです。ただ言い訳をするつもりはないのですが、本来これら一連の業務は、複数人で分担したとしても何らおかしくないほど対応範囲が広く、かつ得意不得意が分かれやすいものです。たとえば、「企画やタイトルを考える」というのは市場を見る力やセンスが求められますし、「進行管理やコスト計算をする」については数字から逆算して調整を積み重ねていく力が求められます。「取材する」なら話す、聞く、ファシリテートするといった高度なコミュニケーションスキルを必要とします。大小含めてトラブルも日常茶飯事ですから、それなりのストレス耐性も欠かせないでしょう。ただ、これらすべてをパーフェクトに持ち合わせている人は限られます。だから大半の編集者は「この業務は仕方なくやってる」と思っているか、あるいはできるだけ後ろ倒しにしたり避けたりしています。そのように考えると、今の時代なら「得意なことを伸ばせばいい」「強みがある業務に集中させるべき」となってもおかしくないのではと思うかもしれません。でも、そうはなりにくいのです。これまでもそうだったし、おそらくこれからも。なぜか?構造的な原因には、人手不足があると思います。といってもこれは「人が集まらない」のではなく、「収益性の低さから雇える人数が絞られている」という表現の方が正しいでしょう。出版は基本的に薄利多売のビジネスであり、大多数の版元は返本に怯えながら自転車操業を強いられています。当然、採用できる人数も少なく、新しい打ち手を考えたいものの、既存の仕事に精一杯の状況です。だからあなたが仮に業界未経験だったとしても、採用後は「即戦力」として現場の最前線に送り出されることになります。そこにはたくさんの理不尽が転がっていて、つまずいたり足を捻ったりすることもしばしばあるはずです。ただいずれにせよそのようにして人は、実にさまざまな業務を通して編集者として成長していくのです。こんなことを言うと、「中の人間(編集者)にも原因の一端はあるのではないか」と思われるかもしれません。たしかに業務をきちんと区分けし、必要な人材要件を洗い出すだけでも、自分たちの時間を「いわゆる」クリエイティブな仕事にもっと充てられるような気はします。実務的にできるかどうかで言ったら、すぐにでも取りかかれるでしょう。ただ現実には、そうはならないのです。とりわけビジネス書の編集者に対しては「たくさんの理論やノウハウを実務を通して学んでるんだから、自身の組織でもうまく活かせるのでは」なんて思うかもしれませんが、実の話、まったくそんなことはありません。9割の編集者は「個」で働くことに慣れすぎていて、「組織」とか「チーム」という単位で考えようとしないのです。「1+1」はあくまで「2」であり、それが「3」とか「5」、ましてや「10」や「20」になるなんてこれっぽっちも思っていない、いや、そもそもそんなことを求めていない。そう表現した方が正確かもしれません。もう少し詳しく話しましょう。この世界では、担当した書籍の「部数」が最も重視されます。少なくとも僕は業界に10年以上いて、そう感じ続けています。勤め先のブランド、著者とのコネクション、担当した本の数などが束になっても勝てないほど「部数」の力はすさまじく強い。たとえば、会話の中で他の編集者について触れるときは「(◯万部の)あの本を担当した◯◯さん」みたいなイメージです。そのあと「あの本って版元はどこだっけ?」「他に何つくった人?」という流れがまでがワンセットです。ただこれは想像ですが、業界外の人たちにとっては「ミリオンセラー」や「200万部」ならまだしも、たとえば「2万部」と「5万部」と「10万部」とを比較しても、その違いがピンとこないのではないでしょうか。「どれもすごそうだけど、どれくらい差があるかわからない」という印象ではないかと想像します。ですが中の人間にとって、ここには明確な違いがあります。たとえるなら、2万部はベンチプレス100kg、5万部はフィジークの地方大会入賞、10万部は全国大会で決勝に残るくらいの違いです。関心がない人には全部「すごいマッチョ」に見えますが、やっている側にとっては明確な壁があるのです。こうした「客観的には『すごい』で一括りにされているけれど、中の人間には明確な線引きやヒエラルキーがある」という現象は他の業界にもあると思いますが、僕たちにとってはそれが「部数」なのです。そしてその部数という指標は、編集者個人の力量や経験、センスによって大きく変動すると考えられています。とどのつまり、「本が売れるかどうかは編集者の腕にかかっている」と思われているわけです。もちろんあえて言うまでもなく、著者がいてこその出版ですし、デザイナーやDTP、校正者といった人たちの力を借りないと書籍はつくれません。出版後には書店営業、広報などの尽力も必要ですし、広く届けるための過程では書店員、メディア関係者、口コミをしてくれる読者といった方々の協力も欠かせません。そういった当たり前は頭に入っているうえで、それでもなお「売れたら編集者の手柄」というのが業界の暗黙の了解になっているのです。僕はキャリアが浅いとき、複数の先輩からそっくりそのまま「売れたら編集者の手柄だぞ」と言われたことがあります。だからこの業界の慣習に毒されている僕たち編集者は、どこまでいっても「個人の実績」というプレッシャー――それをどう感じるかは人それぞれですが――から逃れることはできません。入社直後であっても、プライベートでつらい状況にあったとしても、数字として正面から受け止めることを求められます。売れない時期が続いたときも、結局は自力で抜け出さなければなりません。そういう意味ではアスリートに似ている部分があるかもしれませんね。編集者の場合、肉体的な衰えはアスリートほど致命的な問題にはなりませんが。いずれにせよそうした背景から、編集者の思考には常に「個」がベースにあり、上に立つ編集長や副編集長も自身の「個」で成果を勝ち取ってきたと(本人とそのまわりは)思っています。なので、たとえ「チーム」とか「組織」の重要性は理解できていたとしても、いくら理論や戦略が頭の中に入っていたとしても、チームを「個の集まり」からステップアップさせようということに考えが及びにくいのです。それゆえ編集部が「個人事業主の集団」と表現されたり、一人完結型のスタイルが前提となった結果、個々の業務範囲が広くなったりするわけです。でもどうやら、当の編集者たちはそうした慣習を嫌がってはいないようです。むしろ「裁量が大きい」という価値として受け止めている節すらあります。好きにできるんだから、これくらいの煩わしさは仕方ないじゃないかと。つまり、自由への対価として幅広い業務と責務を負っているのです。これは合わない人にはとことん合わない働き方だと思います。脳の切り替えをそれなりに素早く、スムーズに行い続けないといけないからです。原稿の編集のような高い集中力を必要とする業務の時間を確保しながら、新しい企画の準備や既刊本のフォローもして、細かな調整やディレクションも並行して進めなくてはなりません。その過程でトラブルの火種が薄ら見えてきて、先んじて消火していたら時間をとられていた、なんてことも頻繁に起こります。だから「特定の業務だけを黙々とやっていきたい」という人にはおすすめできない職種です。一方で、そうした切り替えが苦にならない、あるいは自主的にスケジュールを立てて行動できる自律心がある人であれば、これほど自由で、実験的で、役得が多い仕事はそうないのではないでしょうか。仕事のやり方や進め方の大部分は自分で決められるし、マイクロマネジメントはされないし、仮説を立てて試行錯誤できる範囲が広いし、本に書けない話をもいろいろ聞くことができるし、会いたい人に出版という口実で会いに行ける(もちろん必ず会えるとは限りませんが)。業務の煩雑さや責任の重さを差し引いても、手にできる楽しさややりがいの方が圧倒的に大きいと感じます。だから僕たち書籍編集者たちは――たとえ内向的に見えたとしても――心の中ではこの仕事に興味を持ってくれた人に、その魅力をこっそり伝えたいと思っているのです。書籍編集の世界へようこそ。